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ミワいつか
2006/07/24(Mon)
マナからコーラルコーストまで
さらばマナ島。今日は移動する日だ。船でデナラウ港、さらにナンディからバスでコーラルコーストへ。
 今日の、船(高速ジェット船タイガー・)まで私たちは「リゾート」で「観光客」。船を降りてからは「バックパッカー」の「旅人」だ。現地人の目線の旅をする。
 数人の白人バックパッカーを除いてフィジー人で満員のローカルバス。ナンディからコーラルコーストまでたった70セントのこの乗り物は、ホコリ臭さとドロ臭さと人間臭さに満ちていた。何時何分の発車なのか、わからない。おそらく誰も知らないだろう。バスターミナルの雑踏は日本のような社会行動学では説明がつかない。スーツを着た人は仕事の人、あれは主婦、この時間の学生服は学校をサボっているな・・・というふうに見分けられない。大きな風呂敷をかかえたインド系の少女とおばあさん。整髪料で髪がぎとぎとの兄ちゃん。この人たちは何をしてるのだろう?とにかく、移動するべき理由があってバスに乗るのだ。丸太のような腕とスイカのようなおっぱいをしたフィジー人のおばさんがバスの通路より太いウエストをぎゅうぎゅうこすりつけて乗り込む。私たちの席は太りに太ったフィジー人たちを掻き分けて確保できるものだった。細い通路と堅くて薄いシートにありったけの肉体がたわわに実りをつけてバスは出発する。
 何時何分の発車なのか分からない。そして、途中どこがバス停なのかもわからない。車窓は緑と土。ホコリ舞い散るアスファルトの端に、人間がぽつんぽつんと立っている。バスはそこで止まり、彼らを拾う。発車のときは、思わず頭のなかに歯車の形が浮かんでくるくらい「がぎぎぎぎ」とギアの音がする。1速で引っ張る。黒い煙をもうもうと吐いて。1速で引っ張るまで引っ張らないとスピードが出ないのだ。がつんがつんギアを変えて、ガタガタ動く。途中フィジー人のおばさんにも負けないくらい太った白人の女性が3人も乗ってきて、車内はますます人口密度が高くなった。座ってても、腕に巨体のおっぱいやおしりがぼよんぼよん、当たる。そして坂道は進まない。おそらくアクセルを目一杯踏みつけているのだろうが、時速は10キロくらいだろうか。こんなに頑張って坂道を登っているバスはおそらく日本中探してもいないだろう。
 1時間くらい経って、小さな小さな町のマーケットの前のバスターミナルについた。ホコリっぽい町だ。サイドブレーキをギギっとひいて運転手は「Fifteen minutes!!」と叫んだ。乗客はほとんど降りていった。
 15分後、乗客達は手にファストフードや飲み物を持って乗ってきた。あたしの隣の列のおばさんが食べていた焼きそばが美味しそうで美味しそうで、あたしは絶対に夕食をこれにしようと決めたのだった。そして今後しばらくこの町にお世話になることになる。


楽しくて、楽しくて、日本!
旅先でいつも使っていたノキアの携帯の目覚ましの音を聞いた記憶があるのに、起きたのは11時だった。昨夜ぎらぎらしてなかなか眠れず新聞を開いたまま、電気をつけたまま寝ていた。

ドイツでお世話になったステファニーからメールが入っていて、私たちがウィーンでお世話になったクラウディアの働くオフィスでデザイナーとして働いていることを知る。帰国のスタンプを押してもらえなかったハマチュウからも、同僚の人はきちんと伝言をしてくれたみたいでメールが入っていた。

遅く起きたのでブランチということで母と一緒に食事をとってから、外出する。帰国2日目。2日目から都内に出ようということだけは決めていた。八王子に住んでいるとは言っても八王子駅まではいつもバスを使っている。公共の乗り物を使わない場合でも自転車を使うという距離なのだけれど、今日は無性に歩きたくて、40ー50分くらいかけて駅まで歩く。私が通った小学校や、中学校や、前に住んでいた家や、よく行く電気屋、友達の家、友達が継いだラーメン屋さんの前などを通りながら、よーくよーく知っている風景やにおいが楽しくて仕方ない。あっという間に着いた駅前ではポケットティッシュを渡される。海外では何かと重宝するので親からの荷物にわざわざ入れてもらったくらいなのに、要らないと言ったって受け取るまで追いかけてくる日本独特のこのやりとり。海外の人が日本で初めてこのポケットティッシュ体験をするとさぞびっくりすることだろう。

帰国したらおしゃれするぞと決心したくせに、モロッコで買ったパンツとビーチサンダルという旅スタイルのまま家を出てきてしまって、電車に乗るとやはり浮いているのか視線を感じる気がする。視線返しをしてみると私を見ていた人たちもまたいろいろで面白い。それにしても日本人の女の子はばっちり化粧をしているし、おしゃれに気合いを感じるなぁ。

アドレス帳代わりに使っていたauの携帯の電源が入らなくなってしまったので、新しい携帯を見に行く。もちろん初めて目にする機種ばかり。デザイン事情に大きな変化はなく、ベストな選択はできなかったけれど一つだけ目に止まったものを購入した。

人が多い渋谷を抜けて、目黒の女3人暮らしの家にパソコンを取りに行く。私が旅行に行っている間は大学時代の友達のキョウコが住んでいて、そして私がいない間に、ロンドンへ留学したナオに入れ替わってこれまた大学時代の友達のアユミが住んでいるはずだ。ユミチャン、キョウコ、アユミ、みんな仕事をしているので誰もいないのがわかっているのに、「ただいまー」と言ってみる。久しぶりの我が家には見たことのない靴やスリッパがあり、家具のレイアウトが変わっていたり、食器が増えていたりした。机の上にも冷蔵庫の中にも甘い物がたくさんあるのは女3人ならでは。ほとんどのものを置いていった私の部屋もキョウコはかわいく使ってくれていて、ドタバタで出発してしまったことに改めて申し訳ない気持ちになる。紙袋いっぱいの私宛の郵便物やパソコンなど実家に持って帰る荷物を詰めていたら、アユミが帰って来た。にんじんを切ってご飯の準備をするアユミの姿。よく知ったところ(うちのキッチン)で、よく知った人(友達)が、よく知った作業(にんじんを切る)をしているのだけれど、奇妙な組み合わせにしか思えなくてくすぐったい!住んでいた関西に私が行ったときなど何年に一度くらいにしか会っていなかったアユミに「じゃあまたね。」と見送られるのも変な感じ。しばらくは実家の八王子にいるつもりなので目黒を後にする。女3人暮らしは楽しくかわいらしく進行していて、そこに戻るのもまた楽しみ。

今日はすべてが楽しくて仕方ない。変わっていることの喜び、変わらないことの喜び。楽しくて楽しくて仕方がない日本の日常。どの国もとても魅力的だったのに、こんなに日本の日常が楽しくて仕方ないのは私は日本で生まれたから!でも帰りのあの満員電車に寛大な気持ちでいられるのは今日だけかもしれない。
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