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circumnaviの終着点
オークランド。 ここでいつかとミワのcircumnavigationが一旦おしまい。 これからはそれぞれ番外編。 私はfijiでモとナホと合流、その後ブリスベンで香織ちゃんと合流、オーストラリアを少し回って日本へ。 いつかちゃんはシドニーへ渡って日本へ。 いつかちゃんとだったからできた楽しい旅行だった。この旅が楽しかったのはいつかちゃんのおかげ。いっぱい感謝してもしきれないぐらい。 帰ってからも私たちのcircumnavigationはまだまだきっと続くね。 --------------------------------------------- フィジーの日記は私の悪文に耐えかねた文学派のモが私に代わって代筆します。 一部事実と異なる場合があります。 --------------------------------------------- いつかちゃんのようなしっかりものがいなくなって適当な人が3人集まった。適当な人が3人集まっても各人のしっかりした部分が集まって力を発揮することはないから、旅は適当に進んでゆくだけだ。 フィジーは適当な国だ。フィジー人も適当だ。適当なフィジー人は適当な他国人の匂ひをかぎわけて金儲けしようとする。 ナンディ空港からナンディ市内までのタクシーの相場は8FJ$くらいらしいが10FJ$とられた。明日マナ島へ行くのに乗るジェット船を当日チケット買えるでしょという適当な考えで予約していなかったのだが、適当に決めた安宿の女主人に“今すぐ予約しろ”といわれ、船代1人70FJ$+送迎タクシー代12FJ$。あたしがうっかり“ここらへんで美味しいレストランありますか”と適当なことを聞いたばっかりに、たいして美味しくもない高いレストランに連れて行かれ、案の定勘定が合わず多くとられそうになる。 お金がじゃんじゃん飛んでいくわ。適当なんだけど節約はしたいのだ。今までの支払いはオカネモチのモに甘えて払ってもらって、この街ではしばらく現地人からどんな商売を持ちかけられても首を横に振っていようと思った。
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涙のお別れ、そしてシドニービエンナーレへ
2:45ミワの目覚ましが鳴る。ミワがシャワーを浴びている間に、ノートパソコンのイザベルちゃんに残っていた私のデータを外付HDにコピーをする。イザベルちゃん、最後の方が充電ランプがおかしくなっちゃったりしたけれどしっかり頑張ってくれました。
3:50ホテル前ピックアップのシャトルバスがなかなか来ない。2度目にフロントに確認に行こうとしたときに慌てた様子でバスが到着した。小さなシャトルバスは蓋のしまるカートを牽引していて、カートの方に荷物を入れる。お客さんが3ー4人すでに乗っていた。他のホテルにも寄りながら、まだ暗く車の少ないオークランドシティを走り抜け、4:30過ぎには空港に到着。ミワの出発が7時すぎなので余裕を持って到着することができた。私はQANTAS、ミワはAIR NEWZEALANDに別々のカウンターにチェックイン。チェックインを終えてカートをゲットしてミワのところへ向かったらミワもカートを引いていた。いつも一台のカートに二人の荷物を載せるのに、笑ってしまった。到着時に使ったSAMSUNGのブースで再びメールチェックをする。昨日壊れていた2台のマウスは今日は使えるようになっていた。
ゲートで空港税を払ったかどうかのチェックがあり、脇の扉から外の両替所へ通される。両替所でTAXを払うようになっているようで、こんなところで払うの?と不安に思っている私たちに「ここで払えます。」というプレートに案内される。私はカンタスで航空券を買う時にTAX込みだと言われたはずだし、空港税と同じ25ドルが別レシートになっているので支払い済みだと思っていた。しかし払わされた。「You can ask Qantas.But I don't know.」だって。またかぁ。
搭乗口はミワが“10”で私が“9”のなんと隣同士!ミワのフライトは7:05、私は8:50。2時間も違うのに隣の搭乗口だなんて。「帰ったらまず○○食べなくちゃね」とか「○○行きたいね」とかたわいのない話をしていたらあっという間に搭乗時間が来た。6:30頃「いよいよその時が来たみたい、」なんてセリフでミワが乗り込むことを告げる。「さびしくて泣いちゃうよ。」って冗談で言おうと思ったのに、私の目からは涙がこぼれてきている。半年近くもほぼ毎日一緒にいて、一緒にごはんを食べて、寝るときも一緒で、起きても一緒で、そんなの誰とでも私は無理だと思っていた。でも今回の旅の中で二人の意見が違うことはあったけれど、喧嘩はしてない。私のこの性格にミワが我慢してくれた部分がいっぱいいっぱいあったんだと思う。外見はハーフのようにかわいいのに結構男っぽかったりするミワ。残りの旅もミワのペースで存分に楽しんできてね!!!搭乗していくミワを写真に撮りながら「バイバーイ!」と言っている私たちのことをスタッフやお客さんたちが大勢見ている。搭乗口で見送りするってなかなかできないもの。ミワが乗り込んでから、暗かった空が明るくなってきた。
私は3時間のフライトの後にシドニーに10:00に到着する。ワンワールドだけれどまだ乗っていなかったカンタス航空の機内食はオーガニック系でパッケージもかわいい。隣がミワではない飛行機からは、雨粒が窓を流れていく様子と虹が見えた。直前にネットで申請した観光ビザは大丈夫かどうか、ドキドキしていたが全く問題なし。そして厳しいとさんざん言われた税関もお土産に持っているものを告げたらちょっと笑われて(確かに笑われたと思う)、かばんを開けられることもなくパスできた。
5大陸目、オーストラリアはシドニーに到着!お世話になる鈴木さんが出口で手を振ってくれているのがすぐにわかった。鈴木さんは茨城県が主催しているのアートプロジェクト「アーカスプロジェクト」のスタッフとしてこの春まで働いていて、7月9日にシドニー入りし、今月からシドニーのニューサウスウェールズ大学に通う。アーカスプロジェクトではまた日比野さんのワークショップが定期的に行われていて、私が日比野事務所に勤務するきっかけになったのはアーカスのワークショップに参加していたからである。旅の終わりに原点を彷佛させる巡り合わせ。鈴木さんがアーカスを離れたことを知ったのは旅先でのことだったのに、学校は24日からでまだ始まっていない、ということに加えて、シドニービエンナーレも開催されているという、まさに絶好のタイミング。
空港で両替をしてから、鈴木さんの住むキングスフォードエリアに行く400番のバスに乗り込む。雨模様なので景色はよそにバスの中で留学の経緯やなぜシドニーかという話など、いろいろいろいろ聞いてみる。ニューヨークなどに留学するのではなくシドニーに留学することからみても彼女らしく面白い切り口でアートマネージメントを考えていると思ったし、アートマネージメントをやっていきたいということに迷いがない。ニューサウスウェールズ大学の敷地内にあるアパートに荷物を置かせてもらう。寮とは違った大学が経営するフラットで、ここで共同生活が始まるそうだ。まだ入居していない人もいるようだった。医学部もある大きな大学で、設備はうらやましい限り。何でもある学食で、お腹いっぱいにお昼を食べてしまった(インドカレー2種+サモサ!)。
シドニーの滞在は2日だけなので、早速ビエンナーレの会場へバスで向かう。オペラハウスにも作品があるということで、全長1149m、世界第2位のシングルアーチをもつハーバーブリッチやオペラハウスのあるサーキュラーキー地区にバスで向かう。ハーバーブリッジ・クライムという橋に登っているツアー客を眺めながら、オペラハウスが見えてきた。
オペラハウスに関しては特に「実際に見る方が良い」ということを頻繁に耳にしていたのだけれど、雨上がりに出て来た青空を背景に屋根のタイルの筋までが鮮明にうつって、写真などで見てきたものと全く異なる印象だった。白色と淡い桃色の釉薬がかかっているという105万6000枚ものタイルの色には温かみがある。デンマークの建築家ヨーン・ウォッツォン(Jorn Utzon)の設計案はコンペの際、一次審査で落ちていたが審査委員だったエーロ・サーリネンの強い支持により最終選考に復活したらしい。・・・ということを考えるとき、今まではなかなか頭に入ってこなかったその人物の出身や交流関係などの背景が、今では「デンマークといえば堀田が頑張っていたなぁ」とか「サーリネンの建築はハーバードのミッシーが連れて行って解説してくれたなぁ」と旅の記憶に呼応する。
オペラハウスのエキシビションホールというところに展示された向井山朋子さんの作品。ピアノの音が聞こえる室内に入ると、ピアノの音はちょうど消え暗闇の中で演奏者のいないピアノに照明があてられていた。一体何を意図する作品なんだろう?静かな世界に集中してどんな作品なのかとちょっとドキドキする自分がいる。確か外に時間が書いてあったので受付の男の子に聞いてみると、光と音のコラボレーション作品でまた30分後に始まるということを教えてくれた。さっき私たちは最後の方に覗き込んだようだ。この受付の男の子は韓国人で、英語で話し始めたけれども私たちが日本人だということがわかると、日本語で話してくれた。シドニービエンナーレがオペラハウスも使って行われるということで、こんなチャンスはないとすぐに電話をしてシドニーにやってきたらしい。もちろんボランティアでシドニーまでの旅費なんて出ない。「オペラハウスの舞台裏にだって入れちゃうんですよ」とか「向井山さんは自分は知らないけれど、アーティストの考えることって理解を超えていて面白い」と語っていた。行動も、話し方も、まっすぐな人だなと思う。英語も日本語も上手だった。向井山朋子さんという人は、例えば一人の人のためにピアノリサイタルを開くような手法をとるピアニストだということを鈴木さんが説明してくれる。
次に倉庫に作品が展示しているという埠頭Pier 2/3, Walsh Bayへ。濃い色の木の柱が存在する古そうな倉庫に入ってまず目に飛び込んできたのは、アルバニアのアーティスト、Adrian Paciの巨大シャンデリア「Noise of Light」。時間になると床に並べられた何台ものジェネレーターをスタッフが引いて、シャンデリアの光を点灯させる。
倉庫はかなり広く1階部分にはその他にも映像やインスタレーション作品がある。階段をのぼって2階にあがると、その広いスペースは壁に一列に何百枚ものポートレイト写真が並んでいた。奥の方に何かがあるなと足をそちらの方へ向かうと、手のひらサイズの無数のクレイフィギュアが床にぎっしりこちらを向いて並んでいる。その数なんと18万体。ロンドンを拠点に活動するAntony Gormleyの作品。数で見せる作品の中でも想像を絶するボリュームに絶句。壁のポートレイトはフィギュア制作に関わった350人のポートレイトだった。
埠頭を出て現代美術館をのぞくも閉館時間が来てしまった。明日も帰国のフライトまで十分な時間があるので、続きは明日ということにして、シドニータワーを眺めながら帰路につく。スーパーで買い物したらroundingとレシートに書かれている、小数点以下の数セントを切り上げたり、切り捨てたりするそうだ。合計が5.95だとroundingされて6ドルの支払いになるし、6.05だとしても6ドル払えばよいのだそう。
お昼を大量に食べたのでお腹があまり空いていない。お家の近くのチキンをテイクアウトすることにした。東京芸大卒のアーティストでアーカスのときによく会っていた石井瑞穂さんが自費出版したという作品集を部屋で見せてもらった。本の出版のことは聞いていたけれど、日本に帰る前に見れるとは。かなりのテキスト量で、その英訳を鈴木さんが作業していた。頑張りや関係がこうして形になっていくんだ。そんなことを考えながら、まだ10時半すぎだったと思う。いつの間にか眠りについていた。
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