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ミワいつか
2006/04/13(Thu)


久々の朝食付のホテル。昨日は早く寝たので8時前には起きて、たまっていた洗濯を一気に片付けたりお風呂に入ったりしてから朝ごはんを食べても9時半ぐらいだった。フルーツを期待していたけどパンにジャムとバター、コーヒー紅茶の簡単なものだった。
ホテルのおじさんにツーリストインフォメーションの場所を聞きメクネス観光へ向かう。
ツーリストインフォの手前には郵便局があって、いつかちゃんが窓口で切手を買い、切手のコレクションがみたいと受付の人に言うと、奥の部屋に通されて切手を持ってきてくれた。古い切手なのか高い切手や鳥の切手シート、モロッコの民族衣装の切手シートなどあってどれもかわいかった。いつかちゃんは鳥の10枚の切手シート私は民族衣装の6DHの切手が6枚のシートを買う。葉書を日本に送るのに12DHかかるらしい。
その部屋で「こんにちは/こんばんは」「ありがとう」「さようなら」のアラビア語を教わる。「サラマリコン」「シュクラン」「マイセレマ」。ホントに不思議なぐらいモロッコの情報を持っていない私達は「ありがとう」がモロッコの言葉で言えなかった。私達の旅ではどこの国でも「ありがとう」と「おいしい」は必須。私が唯一知っていると思っていたアラビア語「アッサラームアレイクム」がこんにちはではなかったみたい。モロッコ流に発音すると「サラマリコン」なのかな?
覚えたてのシュクランを使って御礼を言い郵便局を後にする。
郵便局からすぐのところにツーリストインフォはあった。受付のおばちゃんは最初はすごく親切で、私のこと日本人じゃないみたい、とか知っている日本語を披露してくれたり教えてあげたり、質問する前に地図をくれたり親切だったのだけど、「おいしい」はアラビア語でなんていうのかという質問がなかなか通じず、そうしているうちにめんどくさくなったのか、隣の人がもらっている地図ももらおうとしたらもういいでしょ、みたいなことを言われた。それでも無事モロッコ全体の地図とメクネスの地図と砂漠あたりのインフォメーションなどをゲットできた。中国のようにインフォメーションも見当たらなかったらどうしようと思っていたのだけどツーリストインフォは私達が行こうと思っている街にはありそうで安心。
まずは橋を渡りメディナを目指す。
途中のcafeでお茶をしているおじさんがわら半紙に包まれたクッキーを持っていた。みながら通り過ぎようとするとその包みを差し出してきて私達にくれると言う。物欲しそうにじっと見すぎたのかな。喜んでいただくことにする。
日本人が珍しいのかなんなのか、たくさんの人が通りすがりに「こんにちは」とか「ありがとう」とか挨拶してくる。バルセロナのTシャツを着ていたので「バルセロナ」と声をかけてきたりときどき「レアルマドリッド」といいながら首を振ってくる人もいる。道を歩いている人がとても多い。
家がぎっしり寄り固まって細い路地が迷路のように入り組んでいるメディナに入る。メディナの中には商店があったり塔があるモスクがあったりブラブラ歩いて通り抜ける。途中人がいないくもの巣の張ったモスクに入って中を見る。人がいてお祈りをしているようなモスクには入り難いし多分入れない。
ブラブラしているうちに広場に出た。日差しがとても暑い。モロッコは愛国心が強いのかいたるところで国旗を見かける。広場にも国旗が掲げてあった。
広場の向かいの門を通り観光の標識の矢印にしたがって次の観光スポットへ向かう。
地図によるとM.MY.ISMAILとあるモスクに行くと15時まで閉まっているという。あと1時間。モスクの近くのベンチに座ってパンを食べながら道行く人を眺める。それだけで楽しかった。スピードの出ないバイクに乗って通り過ぎる人、ベンツだけどマークがずれてる車に定員以上ぎっしり乗っている車、棒を振り回して通り過ぎる子ども。茶色い塀の前の道をいろんな人たちが通り過ぎて行った。
時間になりモスクへ向かう。メディナの中で見た人のいないモスクとは違い色も鮮やかでとてもきれいなモスク。入り口の噴水で日本の神社のように手を清めて入ってみた。現地の人たちはその水を飲んでから入っていた。奥の間は信者だけなのか入れなかった。写真は大丈夫というので写真だけ撮って出る。壁のタイルや細かい装飾がとても美しい。
またブラブラして地図上でBASSIN DE L'AGDALとある池まで出た。池のベンチには人がたくさんいた。私達もベンチに座ってぼーっとする。日差しも大分和らいできた。の子どもが写真を撮って欲しいらしく、私達の前に来てポーズを取っていた。撮るとありがとうと言う。そしてひまわりの種を塩で炒ったお菓子を売り歩いているおじさんから買って私達にもくれた。歯で割って上手に中身だけ取り出し食べる。私達は上手に食べることがなかなかできず最後の1個ぐらいで上手に食べるコツがわかってきた。人気のおやつらしくたくさんの人が食べていた。
子ども達も帰り、私達も宿へ帰る。宿の近くのレストランで炭火で焼いたケバブと肉団子とサラダを食べる。30DHと言われたけどカウンターの中から出してきたメニューには20DHとあった。古いメニューだったのかふっかけられたのか、ホントに30?と聞くとここらへんは皆そうだ、というようなジェスチャーをされ、ちょっとあやしみながら食べる。美味しかった。満腹だった。だから結局満足だった。

おもしろモロッコ。


化粧も落とさず、シャワーも浴びず、コンタクトも外さずに昨夜は二人揃ってバタンキューという音がしていたんじゃないかという寝方をしてしまった。しかしモリモリ食べて、よく寝たからか、風邪っぽかった喉の痛みは消えていた。早い時間に目が覚め、先にシャワーを浴びる。ミワがシャワーを浴びている間に私も洗濯をする。そして楽しみにしていた久しぶりのホテルの朝食。円形のパン2つずつに、ハサンという名前のお姉さんがコーヒーとミルクのピッチャーを持ってテーブルに来てくれる。小皿にそれぞれ広げられたマーマレードとバターが置かれる。シンプルだったけれど、パンもバターもジャムもコーヒーも素朴で美味しかった。紅茶を頼んだらハサンちゃんが銀のかわいいポットで持ってきてくれたけれど「リプトン」と言われ、ティーバックがぶら下がっていた。パンを1.5ヶずつ食べて、最後の一つにバターとジャムを塗って持って行くことにする。

ホテルのレセプションでツーリストインフォメーションの場所を尋ねた。わりと近くにあり、郵便局の側だと言われたので行きたかった郵便局にも寄れる。ジブラルタル海峡を渡っている最中に書いた2枚の葉書を出したかったし、郵便局は各国でチェックしているけれど、モロッコには何か面白切手があるのではないかと密かに期待をしていた。郵便局には長いカウンターがあって、どの窓口にも1人か2人ずつ人がいる。若いスタッフに日本まで葉書を送りたいと英語で伝えると通じたようだけれど、料金はわからないようで上司らしきおじさまに確認したりしている。送料は1通12ディルハム(約168円)とのこと。町中で見たポストカードは今まででダントツ安く1枚1ディルハム(約14円)か2ディルハムというモロッコなのに、送料は高かった。2枚分の切手を買って、他にも切手があれば見せてほしいとおじさんへ頼んでみる。すると、別室へ案内されてコレクションを見せてもらえることになった。オフィスの一室で椅子に座って待っているとしばらくして、切手のファイルを持ったスタッフがやってきた。鳥の切手とモロッコの衣装の切手シートは束になっていたので、売り物だとわかった。その他、モスクなどのきれいな切手は貴重なもののようで少し高そう。いくつか切手を買うことにする。さっき買ったものと買えてもらったり、シートの半分を購入したりしたら、おつりの計算が3人掛かりだった。モロッコはフランスとスペインの二重支配を受けていた歴史があり、まずフランス語で話しかけられることが多い。「フランセ?」の次は「エスパニョール?」と聞かれ、首を振り続けてようやく「イングリッシュ?」となる。おじさんは英語もできて、そしてきっと人と話すのが大好きで私たちにアラビア語まで教えてくれた。Good morning.&Good evening.が「サラマリコン。」Thank you.が「シュクラン。」Bye bye.が「マイセレマ。」私の手帳に英語と右から左へ向かって書くアラビア文字で書いてくれた上に、最後におじさんのサインまで入れてくれた。ツーリストインフォメーションにいたおばさんもまた陽気な人で、しかも日本語ができるので、「いらっしゃいませ。」「いい日。」「雨。」など日本語を披露してくれた。いくつか日本語では何というのかと単語を聞かれ、ついでに私達に必須の「美味しい」は何と言うのか尋ねてみたけれど、それは伝わらなかったし、おばさんも飽きてしまったようでコミュニケーションは終了。

カフェではやっぱり朝からおじさんばかりで、みんなコーヒーか紅茶を飲んでいる。いつの間にか凝視してしまっていたからか、おじさんにお茶の隣にあるクッキーを食べてみろ、と手招きされる。一ついただけるのかと思ったら、クッキーがのっかっていた紙ごと全部いただいてしまった。さっき郵便局で教えてもらったありがとうの「シュクラン」をメモを取り出して言ってみる。モロッコでは私が欲しいと思っていたプジョーのモペットに乗っている人が多くてスクーターの形のものは滅多にみかけない。ボロボロのモペットでスピードも出ないのに、乾いた大きな音をたてながら、二人乗りをしたり大きな荷物を積んでいたりする姿に笑みがこぼれてしまう。信号がほとんどなく車とバイクと人が行き来する道路は埃っぽくて喉と鼻に砂がはりついていくのがわかる。

橋を渡ってメディナへ。メディナとは7世紀にアラブ人が侵入してきたときに造られた城壁に囲まれた旧市街で、狭い路地が迷路のように走っていてスークという市場や商店街やお土産屋さんがぎっしり並んでいる。モスクがあったり、お祈り場があったりして、いつもの調子でカメラを手にとると、カメラはダメだと言われる。モスクを撮ってはいけないのか、おじさんを撮ってはいけないのか、いまいちわからないけれど注意されたのでこの日のメディナでの写真がない。手芸屋さんで日本にはないチープな感じに惹かれて1ヶ1ディルハムの金色のボタンをいくつか買ってみる。道端でござの上にフリマのようにお店を出している母子がいた。Reebokのウィンドブレーカーが目についたので試しに値段を聞くが英語が伝わらない。紙とペンを出すと50ディルハムと提示されたので断るとすぐに数字を、40、30と減らしてきた。首を振り続ける私にじゃあいくらなのか書くように言われるので、10ディルハムと書くと、20、15と下がるまでには少し時間がかかったけれど、最後は10ディルハム(約140円)でウィンドブレーカーをゲット。いろんな人がすれ違うときに話かけてくる。「コニチハ。」「アリガト。」「トーキョー?」「サヨナラ。」「ゲンキデスカ?」「ナカタ。」みんな日本語をよく知っている。

大きな広場へ出て、地図にあるM.MY.ISMAILというモスクに向かうと15時に開くとのことだった。モスクがあくまでに1時間程時間があったのでベンチに座ってパンを食べながらぼーっと道行く人を眺めていた。茶色い壁と道行く人のコントラストがきれいだった。モスクは細部の装飾もしかり、壁のタイルや細部にわたる装飾がとても美しいかった。メディナのモスクは写真はNGだったけれど、ここは逆に促されるように写真を撮った。それから高い城壁に囲まれた長い道を抜けて、BASSIN DE L'AGDALとある長方形の池まで出た。対岸にも大勢の人がいる。しばらくぼーっとしていると、男の子たちが写真を撮ってといったりしてきた。その中の一人の男の子がひまわりの種のような真っ黒な種のおやつを私達にもくれた。そのまま食べたら黒い殻は捨てるらしく笑われてしまう。彼らは片手でパリパリと上手に殻をわり、殻だけペっとはきだして中身を食べる。なかなかうまく食べられなかったけれど、たくさんもらったので食べ終わる頃にコツがわかってきた。

橋を渡ってホテルまで戻り、近所のカバブ屋さんで夕食にすることに。メニューに20ディルハムと書かれたカバブが30ディルハムにその場で書き換えられたのであやしかったが、古いメニューだと言い張る。クスクスは明日金曜日に食べるものだからないと言われ(どうやらそういうものらしい)、カバブと肉だんご(羊肉のものをカバブ、ひき肉のものはケフタ、串焼きを総称してブロシェットというらしい)、サラダを頼む。アラビアパンも出てきた。まだ相場がわからないけれど全部で68ディルハム(=約960円)。
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