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ミワいつか
2006/03/04(Sat)
市場!


今日はかなちゃん家の目の前の通りに市場が立つと言う。お昼頃に起きだしブランチの調達を市場でする。かなり大規模な市場で肉あり魚あり野菜あり花あり絨毯あり衣料品ありの何でもありな市場。それでも基本は食料品でよだれを垂らしながら市場をぶらつく。
鶏肉の丸焼きが売っていたのでそれを昼ごはんにすることにする。1羽6ユーロで2羽8ユーロ。となれば2羽買ってしまうのが人間の心理。夕飯も鶏肉を食べよう。他にいもの煮たのとサーモンのマリネを買って一日の最初から豪勢なごはん。
場所を明かされていなかったギャルソンは、ソルボンヌ大学でやるらしい。入れないかもしれないらしいけど私もついていくことにする。ならんで見たけどやっぱり入れなかった。それでもインビを持ってなくても入れている人も何人かいて、ショーの後にいつかちゃんが聞いたところpushだったそうな。
カルティエ財団のギャラリーまで散歩がてら徒歩で向かう。途中の道で思うことはパリの道端、犬のフンが多すぎる!せっかくの素敵な街並も台無しだよ。
到着したギャラリーはガラス張りの近代的な建物。それでも木々の中にあるせいか、柔らかい雰囲気。いつかちゃんが借りてきたパリの地図に、パリの保守的な街並に対する反抗のつもりだというようなことが書いてあったっけ。
ギャラリーの入り口では見覚えのある写真が。これはパレド東京で買おうか迷った写真集と同じ赤ちゃんとお父さんが映っていた。面白そうなので見ることにする。
一緒に開催されていた横尾○○の絵は赤が印象的な絵。同級生の写真と思われる切抜きが絵の中に使われていたりして面白い。
地下が例の写真展。白い会場が似合う、決して全ての被写体がさわやかなものではないのだけど、変な主張のないすんなりと入ってくる写真達だった。
私は写真展や美術館などに行くと必ずと言っていいほど、図録のようなものを買ってしまう。旅中に今まで見た美術館では荷物になるし買わなかったんだけど、パレド東京でも買おうと思った写真達、これは運命、と思って図録、買ってしまった。
ポンピドウまでノートルダム寺院を遠めに見ながらまた歩く。
1階の本屋でプラプラ見るも、さっき買った本の重さと今日はかなりの距離を歩いたせいかかなり疲れが来ていて、またポンピドウには足を運ぶことにして家路に着く。

(無題)


久しぶりにゆっくりと寝させてもらう。朝、明かされていなかったコムデギャルソンのショーの場所がわかったというメールが入る。水曜日と土曜日はかなちゃんちの前に市場が出るとのこと、ミワと二人で行ってみる。花屋、肉屋、魚屋、八百屋、美味しそうな市がすぐ前の大通りに遠くまで広がっている。目移りしながら、品定めする。チキンの丸焼きが1羽で6ユーロ、2羽で8ユーロ。それならばと2羽お買い上げ。大きなフライパンで調理されたじゃがいもやサーモンのお惣菜を買って部屋でお昼を食べることにする。お腹がいくつもあったら、もっといっぱい食べられるのに!泊めてもらっているかなちゃんのお家はナシオンといういくつもの路線が乗り入れているとっても便利な駅のそばで、大通り沿いに入り口があるのでわかりやすい。通りからいくつかドアを抜けたD棟の4階(日本の5階)にあるこんな雰囲気の素敵なところ(※写真)。さらにこんなに楽しい市場が週に2回もあるなんて、うらやましい。

楽しかった上に美味しかった食事を済ませて、ギャルソンのコレクション会場、ソルボンヌ大学へと向かう。パリコレクションのスケジュールはブランド名と時間と場所が公にされている。しかし、ギャルソンやルイヴィトンなど一部のブランドはSee invitationとなっていて、顧客やプレスなど限られた人にしか場所がわからないブランドもある。ジュンヤワタナベは最後には入れてくれるが、ギャルソンはどんなことがあっても入れない。極秘体制でのショーで、日本のスタッフだってどこでやるか場所を知らないなどという噂がある。なんとか場所の情報を得たものの、だめもとでソルボンヌ大学の前まで辿り着くと、報道陣やスタンディング狙いの人たちが集まっていた。ドアマンをしているスタッフのフランス人がギャルソンの服を着ていることがなんだか不思議。男性が着るギャルソンは違和感なかったけれど、女性に関していえば日本人女性の方が似合う気がする。CHANELのショーに並んでいるときににこにこと会場に入っていったおじいさんが、カメラを持ってまたいた。若い子を二人連れて、どうやらカメラマンらしい。とても嬉しそうに撮影する姿に好感が持てる。いくつかのコレクションをまわっていると、必ず見かける人が何人かいる。有名そうな人や、私達のようにスタンディング狙いのおそらく学生。行く先々で見かけていた髪の毛の赤いパンクな女の子がまたいてドアマンに話しかけていたので、最後には入れてもらえるのかどうかと話しかけてみた。「ドアマンの彼は原則だめだけれどもなんとか努力してみるから待っていてというようなことを言っていた。こればかりはわからないけれど、大丈夫ではないか。」とのことだったので、改めてドアマンには尋ねなかった。インビテーションを持った顧客たちが一気に入場したり、血相を変えて報道陣が駆け込んだりしたあと、ドアマンが辺りを見回した。一呼吸おいて、ドアマンが赤い髪のパンクな女の子を指差して、中に入れと静かに言う。もう一人二人指さして、それでドアを閉めてしまう雰囲気!報道陣を含めとっさに詰め寄る人たちに首を振りながらドアが閉められてしまった!!一瞬の出来事のあと、このまま入れるかもしれないと努力を怠った自分を後悔した。明らかにどうしても見たいという熱意のある人を最後に入れたのだ。ショーが終わったら出てくる人の流れに紛れて会場だけ覗けるかもしれないと思って、あきらめて終わるのをそばの本屋で待つことにする。しかし、これまた厳重体制で、警備員が入れてくれようとしない。多分最後に入れてもらえた女の子二人が興奮して出てきたので、追いかけて聞いてみたら、息をあげながら「ワンダフル!グラマラス!」「シャネルもサンローランもシットだよ!」それはそれは素晴らしいショーだったよう。その二人の目の輝かせ方の様子に、一体どんなショーだったのかうらやましくも、そこまでの反応に私の分まで見てくれてありがとう、とちょっと嬉しかった。ショーを見れなかったのは残念だけれど、そろそろ入れるばかりでなく、アウトプットをしないといけない。そのことを納得できたので、昔の私だったら悔しくて仕方なかったと思うけれど、すーっと自分が今すべきことが見えたような気もした。

一つだけご褒美というか、ショーが終わるのを待っていた本屋さんでたまらなくかわいい料理本を見つける。豚ちゃんの挿絵があって、たとえば部位の説明のページでは、一匹の豚がもう一匹の豚に「ここがロースだよ。」とでも言いながらか、体にペンで点線を描いている。知り合いのグラフィックデザイナーさんに見せたいなとふと思う。この本かなり分厚いのだけれど買ってしまうかも。

カルティエ財団まで歩けそうだったので足を運んでみる。迷いながらジャンヌーベル設計の建物が見えてきた。何の展覧会をやっているのか尋ねると、横尾忠則とJUERGAN TELLERだとのこと。面白そうで早速入る。さほど広くないちょうどよいボリュームとさすがのキュレーションにお気に入りのスペースになる。JUERGAN TELLERのKate with Plams.というタイトルだったか、妊娠中のケイト・モスがプラム園にいるような写真が好きだった。

ずーっと歩いて、シテ島の先端を抜けて、ケバブで腹ごしらえをして、ポンピドゥーセンターに。前回パリを訪れたときは改装工事中だった。入り口で荷物チェックをする厳重体制。1Fのブックストアでファッション系の本を2冊買う。今日は本屋だけで展示はまた改めて来よう。SKYPEで東京の同居人、奈緒と由美ちゃんと話す。私がいない間私の部屋に住む京子はいなかった。長く話すがSKYPE同士で無料だし、音質もいい。近くで話しているみたいで自分がどこにいるかわからなくなったけれど、どこから話していいかわからないことで離れているということを再認識する。

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