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ミワいつか
2006/02/26(Sun)
気が気じゃない一日
今朝もちびっ子に蹴られた。もう本気で怒ってぺちって叩いてやった。昨日蹴られたトコと同じとこ蹴ってくるし、部屋に入ってこようとするし、丁度同室者2人も外に出てたからもう部屋の鍵を閉めることにする。途中同室者も戻ってきたみたいだけどしばらく鍵を閉めたままにした。そしたらその後かぎあけた後も入ってこなかったよ。ちょっとは反省したのかしら。今夜は本気で眠れないわ。
と思ったら昼過ぎに彼らは降りてった。よかった。すぐにまた同室者が入ってくるも今度は夫婦だしセクハラの危険はなさそうだわ。
セクハラ同室者の2人のごはんかと思っていたパックはどうやら私達のものらしく、それを昼ごはんにする。
また日記を書いたり寝たりしているうちに夕方になり、ジョンとセルゲイとケイトの3人が遊びに来た。
またビールを飲むも、酔っ払うのが怖いのであんまり飲めず、水を飲みながら。ケイトはモデルをやっていたらしく、(どうりで細いしカワイイ!)22歳で1歳の子持ちらしい。ジョンはナイトクラブでダンサーだったらしい。
またもや日本の歌を歌ってと言われ恥ずかしがってたらドアを閉めてくれた。何を歌えばいいかまた迷っていたけど、天城越えは?といつかちゃんに言われ歌った。
そしたらジョンもロシアの歌っぽい歌を歌ってくれた。
ロシアのゲームを皆でやった。両隣の人の膝に手を置いて時計回りに順番に最初の人と同じ回数叩く、というもの。私は一番最初に叩く人だったので割りと楽で、ロシアのゲームなのに私といつかちゃんが勝ち残ってしまった。
英語がわかるのはジョンだけで、セルゲイも少しはわかるのかな、一番ケイトがわからないっぽかったのに、なぜかケイトは私達の言っていることがよくわかるらしくジョンにロシア語で通訳してくれてた。
モスクワの美味しい店とかを聞こうとしたらジョンは「モスクワは危ないよ!」といわれ、ボルシチとかビーフストロガノフとかキャビアとか、モスクワで食べようと思ってたけど断念することにする。
昨晩の眠れない夜のせいか眠くなってきたのでまた上段に上がりこむ。とジョンが心配してくれてお布団を整えたりしてくれた。そんな超眠くもなかったけど。そのうち皆もばらばらと帰りだした。
私は安心して眠ってしまい、目が覚めるとまた同室の人が現れたけどちらっと挨拶だけして寝た。一応念のため電気はつけっぱなししで。
入れ替わりの激しい同室者たち
眠れなかった朝、日本から入ってきた何気ない携帯メールになんだかほっとする。朝食はミックスジュースとクロワッサンとカップ麺。やさしいジョンがミワと私に具合は大丈夫か?と聞きに来てくれる。同室の男性とは口を聞かないことにする。もう1泊あるかと思うと部屋を変わりたかったが、男性たちは最後にバイバイとだけ言うと降りて行った。一安心していたところで、すぐに次の同室者はやってきた。若めのおそらく夫婦だろう二人。体格のよいというか、グラマーというか奥さんの方がすぐさま夫を部屋の外に出して着替え始める。タイピングをしていたら、「不思議ねー」と奥さんが話しかけてきた。モスクワまで行くのかと思ったら数時間で降りていった。

夕方、ジョンたちがまたビールを持ってきてまた宴会。ビールに大きく書いてある数字はどうやらアルコール度数のようで、私たちには軽いものが注がれた。テーブルに残っていた9の数字の黒ビールなんて飲んではダメだよ、と言われる。終点のモスクワまで向かう彼らはとてもいい人たち。ケイトは22歳で現在1歳の子どもを産むまでモデルをやっていたそう。小顔で、アリーみたい。ゲームをしたり、日本語を教えたり、ロシア語を教えてもらったり、歌ったり、踊ったりしながら、楽しい宴会時間は過ぎていった。

みんなが寝静まって静かになった深夜1時頃、日記を書いていたら、突然3番目の同室者に部屋をノックされた。もう誰も来ないと思っていたので、びっくりして鍵をあける。また男性二人。ロシア人は最初からフレンドリーな人はあまりいないようだ。暖かそうな例のロシア帽子をかぶって少し冷たい外の空気を運んできた彼らにちょっと緊張しながら日記を書き続けていると話しかけてきた。一人の人はビクターさんという方で英語で話しかけてきた。ディーラーをやっているそうで、チャイ(teaのこと)をご馳走になりながらフォードなどのマークの入った名刺を渡される(このときに名刺にあったPOCCNR[※NとRは反転]の文字が“ロシア”だということに初めて気がつく。つい先日仕事で写真集の校正をしていたときも展覧会の名前か何かだと思い込んでいたがRがPでNの反転がIでRの反転はYaだから、そうか。)「こんな時間に乗ってくる方がいると思わなかったので鍵をしめていてすみません。」と謝り、「ずいぶん遅い時間に列車に乗るのですね。」というと「モスクワ時間ではまだ20時すぎだから遅いことないよ(笑)」と笑われる。モスクワに近づいたとはいえ、20時ではなかったはず。ロシアではモスクワ時間で人は行動する。北京からそのままだった腕の時計をモスクワ時間に直して眠りにつく。
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