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ミワいつか
2006/02/19(Sun)
ウランバートル到着


朝起きて窓の外を見るともうそこにはモンゴルらしい景色が広がっていた。広々とした大地と連なる丘。ところどころに見える牛やヤギや馬の群れ。
朝ごはんもチーチーガーのロウビン(ナンみたいなパンみたいな)をいただく。
程なくしてウランバートルに到着。チーチーガー達は車内までお迎えの人が来て行ってしまった。私達はいつかちゃんが前にモンゴルに来たときにお世話になったボロルさん宅にお邪魔することになっていた。ウランバートルに到着しボロルさんに連絡をすると、タクシーで到着してくれた。私は勝手にボロルさんを男の人だと想像していたけど車から降りてきたのは女の人だった。ボロルさんの家に到着するとボロルさんのお父さんが出迎えてくれた。ミルクティ(スープみたい!)をいただいていると近所の女の子が廊下でじっとしている。おいでというとちょっと近づいてきたけど手を後ろに組んだまままだじっとしている。出してもらったクッキーを渡すとようやく席に座り食べ始めた。しばらく黙ったままだったけど隣の部屋でアンパンマンの絵を描いてノートを渡すと、まずアンパンマンの絵を真似た後、お姫様の絵やらケーキの絵やら夢中になって書いてるうちにだんだん打ち解けてきた。
久々のシャワーでさっぱりし、ボロルさんお手製の焼きうどんを女の子と一緒にいただく。その後も何度かモンゴルで麺やらボウズ(小龍包のような肉まんのような)やらをいただくのだけどそれらはみんな小麦粉から捏ねて自分で作るのだ。すごい!
しばらく休んだ後トゥグルクに両替しデパートへ。トゥグルクの桁を一桁減らすと大体日本円と同じになるからすごくわかりやすい。本屋で絵本(50円)を買う。
外出ると公衆電話がいた。いた、というのもモンゴルの公衆電話は人が電話を持って立っているのだ。
日本を出てから初のネットをするためにインターネットカフェへ。日記の環境を作るために自分のマシンをつなげたかったのだけど、つなげないらしく、すぐにでて、無線LANの使えるcafeでやっとネットをつないで日記の環境を作り一日目の日記だけUPしcafeを出る。
ウランバートルが一望できる丘へ行く。ウランバートルは草原ではなく街なのだけどそれでも広い広い眺め。夕飯の支度で家々から煙がでてもやがかかったようになっている。街の灯りもともり始め、都会の夜景とは全然違うステキな眺めを眺めることができた。
丘を下り、最近できたという金ピカの大仏へ。ライトアップされた大仏は余計に妖しく、ちょっとおもしろくもあった。
夕飯にまたボロルさんの手料理をいただく。煮物のようなモンゴル料理。中に入っているきのこは野生のきのこで、お父さんが採ってきたものらしい。料理もきのこもおいしかったぁ!

2年半ぶりにサンバイノー(こんにちは)。


9時頃目が覚めるやいなや、隣の部屋のおじさんに、「早く写真を撮りに来い」と言われる。車掌さんにも「ほらはやく、写真!」と。上の段のベッドから降りた私の視界に飛び込んできたのは2年半ぶりのモンゴルの大地と青い空。2003年の5月に3日間だけ仕事の休みをもらって初めてモンゴルを訪れた。顔を洗ったりしているとチーチーガーが「ミワー、いつかー、ロービンハオチー。」とまた朝食にお呼ばれする。外は霜なのか白い世界が広がっている。意外に早くウランバートルに到着。お迎えが来たチーチーガーたちにお別れをして私たちは最後に列車を降りた。ウランバートル駅ではたくさんのタクシーが出待ちをしていて声をかけられたが、私達はしばらくぼーっとしていた。前回モンゴルを訪れたときにお世話になったボロルさんに北京の劉さんのオフィスから正確な到着時刻をメールしていたが、携帯に電話をしてみると「どうして連絡しないの!」となつかしい声で怒られる。駅まで15分くらいで来てくれるとのこと。出待ちをしていたタクシーも少なくなった頃、一台の車の中からボロルさんが出てきた。思わず駆け寄る。初めてモンゴルを訪れたとき、モンゴルのバドミントンの代表の監督をしていてお世話になった石黒さんという日本人の方の通訳の仕事をしていたのがボロルさん。日本語がとても上手で、瞳が青くて、強い女性で、顔はビョークに似ていると思う。タクシーでボロルさんのお宅に到着するとお父さんが出迎えてくださる。私とミワがシャワーを借りている間にボロルさんがモンゴル風焼きうどんを粉からつくってくれる。お肉は馬肉。前回も草原でキャンプをしながらご馳走になった焼きうどん。また食べたいと思っていたもの。電気を無駄に使わないようにキッチンにある薪のコンロで調理をしてくれている。アパートの上の階の小さな女の子が週末になると遊びにくるらしく、女の子がたたずんでこっちを見ている。シャイで初めは立ったままおりそうにこちらを見ていたけれど、そのうち柔らかい体や上手な絵を披露してくれた。ボロルさんにふとお母さんは出かけているのかと尋ねると、昨年亡くなったことを聞く。びっくりして涙がいっぱい出てきた。ボロルさんのお母さんは前回ウランバートルの市場でモンゴルの民族衣装のデールと帯の布を買ったときに、私の帯をミシンで縫ってくださった。とてもやさしそうな方で、今回荷物が重いのでデールはおいてきてしまったものの、お母さんに縫ってもらった帯だけは持ってこようと思っていた。結局それも実家に置いたまま忘れてしまったのだが、縫ってもらった帯は大切に持っています、と会ったらまず言おうと思っていたし、とても、とても、会いたかった。予想していなかったことに涙が止まらなかった。ミワがよしよしと頭を撫でてくれた。ボロルさんちに重たい荷物を置いて、バスに乗って国立デパートへ向かう。5階から順番に一通りデパートをまわる。今回のバックパック旅行では荷物は増やせない。ついついいろいろ買いたくなってしまう私には買わないことが課題の旅行である。買いたい欲求をぐっとこらえてデパートをまわる。途中どんな話の展開からだったか、「女性は男性を耳で好きになるからねー」というボロルさんの言葉に妙に納得してしまった。日本語対応しているネットカフェでWEBからメールだけチェックするが、ミワのパソコンはつなげず更新ができなかったので場所を移動する。Irish Pubに無線LANがあり、お茶をしながらネットにつなぐ。ドタバタの出発後の初めてのネットチェック。ここは使えるねと話しながら、メールチェックもそこそこに足早にPubを後にした。暗くなる前に戦争記念碑のそばに新しくできたという仏像を見に行って見ることにする。ウランバートルはつい先日チェックした気温がマイナス30℃だった。今日はずいぶん暖かいようだが、それでもマイナス15℃くらいらしい。数ヶ月前に降った雪がところどころに残っていたり、路面が凍結していたりする。外にいると鼻の穴の中に細かい氷の粒が入ってくる感じがして、体がキューっト締め付けられる。大仏は金キラ金で、さらにライトアップされていて薄暗い景色に妖しげだった。ボロルさんに詳しく聞いてみても「興味ないからよくわからない」とのこと。大仏の周りにも青い布がいたるところで結ばれていて、これだけは今回買っていこうと思ったもの。モンゴルでは空を表す青色の布が寺のあちこちや記念碑や家の中心や大切なところに巻かれている。近くの凍った川で何人かが遊んでいた。見ているだけで寒い。ボロルさんのお家に帰って、お父さんが採ってきたきのこ(モンゴルではすべて天然のもの)の入った肉じゃがのような料理をご馳走になる。ボロルさん、夢や料理屋を構えることが夢なのだそう。日本でお店開いたら絶対私は常連になる!モンゴル代表のバトミントン前監督の石黒さんからボロルさんのお家に電話が入る。今回ボロルさんにお世話になるということで預かるはずの荷物が受け取れずに日本を発ってしまったことを謝る。ボロルさんのお家で石黒さんの歌のCDを聞きながらPC作業をする。明日は遊牧民のエルデネさんに会いにいくのでまだまだ興奮している。
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